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足の長さ…そろえる必要ある??

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整体やカイロプラティックでよく目にする言葉「カラダのバランス」
その中でも「足の長さの左右差」は基準として多く用いられています

でも、ホントに揃えたほうがいいのでしょうか?
僕なりの考え方を書いてみました
※何かを否定したり、自分の考えを押し付けるものではありません

自然界に存在しない「左右対称」

まず挙げたいのが2つのキーワード
●整える
●左右対称
この2つの意味と必要性をもう一度考えてみます

まず「整える」という言葉。大辞林によると、
・本来あるべききちんとした状態にする
・乱れをなおす、整理する
・必要なものをそろえる
・調子、リズムなどをあわせる
とあります

整体で言えば、いちばん最初に挙げられた、
「本来あるべき…」というのが適当でしょう

では「本来あるべき状態」ってどんな状態でしょうか?
これが2番めのキーワード「左右対称」にかかってきます

どういうことか?

本来あるべき状態=左右対称だと思いますか?
左右対称に揃っていることがカラダにとってベストでしょうか?

僕の考えとしては「NO」です
左右対称=不自然だからです。ちょっと考えてみてください

自然界に左右対称なものはありません
木々を見ても、地形や生物どれを見ても左右対称ではありませんよね

人間も自然の一部ですから当然左右対称である必要はありません
つまり、「本来あるべき状態」≠左右対称と考えています

もともと左右の差があるものをわざわざそろえる必要はないですよね
だから僕は施術の中で左右の差をピッタリそろえることはしません

不自然なものに惹かれる理由

ではなぜ、わざわざそろえるようなことを人はしたなるのか?
そう思いませんか?

その理由は「人は不自然なものに惹かれるから」
例えばお城や寺院など宗教的な建築物はだいたい左右対称
ピラミッドなんて良い例です

不自然なもの→信仰の対象としてふさわしいのかも
そう僕は考えています

世界三大美女のひとり、クレオパトラも左右対称だったと言われています
左右対称だからこそ、人を惹きつけたのかもしれませんね
※ちなみに左右対称の顔は100万人に1人だとか。。。

だから人は左右対称という不自然に対して畏敬の念のようなものを抱く
でも、実際には左右対称でなくてもいいんだよ^^

そんな結論で解釈していただければいいでしょう

何事にも「あそび」を持たせる

多くの患者さんを見ていると感じることがあります。それは
「ピッタリ」とか「きっちり」とか好きな人が多いなぁと

別に「だいたい」でもいいんじゃないですか?と
逆にその「あそび」が必要なんじゃないですか?と感じます

川にかかる橋や鴨居の溝もあそびがありますよね
あそびがあることで性能を発揮したり、長持ちしたりする

人間のカラダも同じように考えてみてはいかがでしょうか?

心にもカラダにも、ちょっとした余裕=あそびがある
そのほうが本来の性能を発揮したり長持ちしたりする

そんな考え方が広まってくれたら嬉しいですね

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【編集後記】
昨日は季節外れの雪でした。調子に乗って娘と外出。
風邪が強く、横殴りの雪に娘はギャン泣きでした。。。

ちょっと申し訳ないことをしたと反省しきりです

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